「説教集」を読む

 キリスト教の書物に「説教集」というジャンルがあります。古今東西、有名無名の説教者たちの説教を編集したもので、おびただしい数が出版されています。

 ところで、なぜか筆者はこの手の本にもともと興味がありませんでした。これという納得いく理由もみつかりませんが、ともかくそうでした。以前、ある先輩からかなりの数の説教集をいただきました。けれども、そんなわけで、いつか読むかもしれないぐらいの気持ちで、しまったままでした。

 それが、2、3年前、ふとしたきっかけから、そのうちの一冊を手に取ることになったのです。それは、旧約学者でもある今は亡き牧師のものでした。ところが、何気なく読み進むうちに、筆者はその説教に引き込まれ、旧約が今日に語り掛ける確かなメッセージに感動させられることとなったのでした。そこで、今更のように、説教集というものの価値を教えられたのでした。

 以後、手元の古い説教集を一冊、一冊愛読するようになったのです。そして読むほどに、その価値を再確認させられてきたのでした。 考えてみれば、著者である牧師たちが、心血を注いで講壇で語ったのが説教で、活字とはいえその記録である説教集は、いわば彼らの存在をかけた作品であるわけです。還暦を越えた今になって、そのことに気づかされたことです。引き続き、大切に説教集を味わわせてもらいたいと願わされます。