哲学なき政治

 「民主主義は数だ」これが現政権と与党の大多数の公理でありましょう。議会で安定多数を確保した政権は、戦後日本の骨格をなしてきた原則の無力化をはじめ、国民の意見が大きく分かれるような様々な課題について、強引な運営を進めています。昨年の安保(戦争?)法制強行、「為にする」公共事業で、経済対策の目玉と謳われるリニア鉄道への踏み出し、財政規律の後回し、米軍沖縄基地問題に対する現地の反対民意の蹂躙、原子力発電への固執と電力業界への手厚い政策、福祉のきりつめ等々心当たりは枚挙にいとまがありません。このほか、バランスを欠いた軍事費の増強、戦前教育への回帰、高等教育における理数科の偏重など見識を疑う政治方向を示しています。

 これらを見ていると、根底にある思考は大きく国家主義の標榜、そして周到な集票対策といったところに集約されるのかと思います。そして、そこで感じるのは哲学の欠如、それと歴史に学ぶ見識の欠如です。政府代表者は外国訪問でよく「自由と民主主義という共通の価値観」を口にしますが、わが国でいま最も軽視されているもの、そして最も必要とされるものそれこそ、民主主義の精神ではないかと思います。「法の支配」ではないかと思います。さらに、周到を誇る集票対策の中で、その政治方針に古今人類の普遍的価値に対するリスペクトがまったく感じられません。その意味で哲学がないのです。寒心に堪えません。このような歩みがいつか必ず行き詰まること、それこそ歴史の証明する所です。この日本に、志高き政治家(政治屋でなく)が起こされることが切望されます。