マリア地蔵尊

 過日、長野県で開かれたある会合に参加した折、参加者有志で、木曽の旧中山道宿場町、奈良井宿を見学する機会がありました。よく保存された町並みを楽しみつつしばらく歩くと、街の一角に臨済宗の寺がありました。実は、この寺を訪ねることがこの見学の一番の目的でもあったわけです。それというのは、ここは江戸時代、キリシタン禁制の折、隠れキリシタンがいてかれらが信仰のよすがとしていたと思われる、マリア地蔵で知られたところだからです。

 といいながら、筆者自身はそのことを詳しく知っていたわけではなく、以前だれかからおおざっぱに木曽には隠れキリシタンの遺物があるときいていただけでしたが、今回詳しい方の情報でここに来たわけです。

 確かにこの寺の墓所の奥まった一角に、小さく区切られた場所があり、その真ん中に石造りの像が鎮座していました。ちょっと見ると座位のお地蔵さんといった感じですが(子育て地蔵を模したものと言われています)、その頭部は失われています。首なしです。説明書きによれば、恐らく隠れキリシタンの存在が見つかり、像が破壊され廃棄されたのであろうとのこと、それが昭和の初めごろ偶然土中から発見された由。腕に抱かれた幼児の手には、十字架とおぼしきものが握られています。背中に回ると、刻まれた十字架らしい掘り込みが確認されます。

 この傷だらけの座像を目にして、この木曽谷にも隠れキリシタンがいたので

                                   あり、信仰には過酷な時代の中で、神を仰いで生きていたのであろうこと

                                   がまざまざとしのばれたことでした。