平和への想い

  あの戦争に思いをはせ、平和を考える季節を迎えました。筆者は戦後生まれ、直接の記憶はありません。ただ、子どもの頃、空高く飛ぶ飛行機を見ると、「B29だ」などと口々に言った記憶は鮮明です。しかし、まさに戦時中のことは、今は亡き親たちから聞いたこと、戦時体験者の方々から伝えられたことから想像するほかはありません。しかし、当たり前のように享受してきた「平和」な年月が、決して当たり前ではなかった事を知って、「今そしてこれから」と真摯に取り組まなければならないと考えています。

 学校では現代日本史をまともに教わった記憶がありません。不出来な学生であったことを棚に上げてはいけないのですが、同じようなことを耳にすることも多く、あながち自分だけの問題ではないように思います。その理由は、国がそれを教えられなかったからだと思います。隣国を併合し、他国に侵出して戦火を交え、内外の無数の犠牲者を出した揚句、降伏へと追い込まれた、その歴史を未だに総括できていないからです。

 そのような中で、あの破局がなかったかのような歴史観が復活しつつあり、政権はかつて歩んだと同じ道をたどろうとしています。その矛先は、憲法に向かっています。

 筆者は、憲法の精神である「平和主義」は、戦後国民の悲願であると思っています。戦争の悲惨を体験した日本の民衆が、戦後70年にわたって支持した

                                   からこそ、今日まで平和の歯止めとして機能してきたのだと思うのです。

                                    この、世界でも類を見ない平和への意思と決意をあらわす基本精神を無視

                                   して、条文の改正や削除を論じることは愚かなことです。

                                    第9条について、誠実な議論をすることは今後避けられない課題となりまし

                                   ようが、歴史を直視せずに戦争肯定に進もうとすることは、国民の歩んだ悲惨

                                   を無意味のなものとする、国家最大の愚行となりましょう。