巧言令色少(鮮)なし仁

 孔子の論語だったでしょうか。うまい話、お世辞で相手に取り入ろうとする浅薄な人となり、そこに真実、誠実はないとします。

 為政者に求められるのは、行政手腕もさることながら、かれらを信任した国民に対する誠実さであり、そこから生まれる誠実な言葉でありましょう。「ものはいいよう」と言いますから、政治の世界では縦横に言葉を駆使する能力は欠かせないものでしょうが、そこにはおのずと限度というものがあるでしょう。真実をことさらに覆い隠したり、黒を白ということはあってはならないことです。

 ひるがえって、昨今のわが国の状況はどうなのでしょうか。筆者は、政権のリーダーが折に触れて発してきた、「法の支配」「自由と民主主義」という言葉と、政権が実際にたどっている歩みとの間の「ずれ」に違和感を感じてきました。国民の大多数が反対する、安保法制の制定に向けての昨年夏以来の進め方はは、明白に現憲法に違反するものでした。「法」の尊重、リスペクトはどこにも見られません。「法の支配」はどこにあるのでしょうか。また、「日本を取り戻す」過程で日々に増し加わっている報道への圧力は、国際的に認知されるレベルとなっています。情報の開示、報道の自由は、民主主義の不可欠の要素です。しかし、進んでいるのはまったく逆向きの歩みです。言葉の不実は極まっています。政策が行き詰まりを見せる中、焦る与党は、とりあえず大衆が喜びそうな政策をここへきて動員している風があります。溢れるのは、空疎な言葉の羅列

                                     です。こうした風潮を受けて、世の中も総じて軽薄な言葉が溢れているように

                                                                                                                  見えます。

                                     何ものも、「信」がなければ、早晩崩壊します。なんとかして、誠実な言葉が行

                                    きかうわが国となって欲しいと願うばかりです。