いじめ、または都知事たたき

 このところ、マスコミは連日、舛添東京都知事の金の問題を取り上げています。豪華外遊や公用車による別荘通い、政治資金の不適切な用い方などなど、各方面が「精査」を重ねて、都知事と「カネ」のありようを追求し、批判的な町の声を報道しています。総じて、知事に対する批判の大合唱となっています。

 このような細大漏らさぬような報道に接していると、確かに知事の金銭感覚、あるいは政治資金をめぐる脇の甘さというのはあるのかな、と思えてきます。それこそ公正な判定がなされなければならないということでしょう。

 一方、このような都知事憎し一辺倒の報道があふれていることにたいして、違和感を感じざるを得ないのは、筆者ひとりでしょうか。マスコミが総じて、たった一人の人を叩き、追い詰めようとしている図は、異様でもあります。ワイドショーも、こりずにこの問題を連日とりあげ、相当な時間を割いています。これほど各社が一つの問題で一致し、存分に報道できる話題は、久々ではないでしょうか。別の角度から見れば、報道各社は、政権への配慮から、平素ずいぶんおさえなければならない部分が多いということでしょう。こんどの問題は、ちょうどよい穴埋めとなっている感があります。

 都知事の問題もあるでしょうが、本来もっと力をいれて報道すべき題材はいくらもあるのではないでしょうか。甘利前大臣の問題、パナマ文書の問題、

                                   TPPの問題、政党による政治資金の還流の問題等々、影響力においては都

                                   知事の金問題の比ではない、日本全体にかかわる問題がなぜ、報道されな

                                   いのでしょうか。

                                   イエス・キリストの言葉に「あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量

                                   る秤で量り与えられる」(マタイ福音書7:2)とあります。自らを棚に上げて安易

                                   に他人の非をあげつらうなら、やがてその尺度で自分が量られる時を迎える

                                   のです。