イエス・キリスト

 

昨年は、旧約聖書に親しませてもらいました。キリスト生誕以前、主としてイスラエルの歩みの中から遺され、結集された39の文書から成るこの書物は、民の歴史の中に啓示された世界の創造主なる神がどのようなお方かを教えています。

 自分でもよく知っているつもりでしたが、改めて気づかされたのは、その伝える内容の重さと、にもかかわらず新約の伝えるイエス・キリストの救いの時代をさししめす「約束」としての限界です。その伝える人間の真相とそこに目を注がれる神の聖といつくしみがどんなに重厚であっても、それは約束の域を超えることはできません。

 しかし、旧約が明らかにした神の聖といつくしみを、その仕える生涯と十字架のあがないの死、そして復活において決定的にもたらしたお方こそ、イエス・キリストです。二千年前に地上を歩まれたこのお方において、罪の赦し、悲惨からの解放、創造主なる神と人の和解が実現しました。旧約の人々がおぼろげに見ていたことが、このお方の生涯において確証されたのです。画期的な、驚くべきことです。