2016年の初めに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               2016年の初めに

 和魂洋才、これが明治維新以後、折に触れて意識されて来た国造りの方向であったと言えましょう。わが国が開国を余儀なくされた19世紀、世界はすでに産業革命の時代に入り、科学は進歩し、技術も制度も大きく発展しつつありました。鎖国中であった日本にも、そうした海外事情は伝わっていたようです。その折しも、英国と清国の間に起こったいわゆるアヘン戦争で、近代的な軍隊によって英国が清国を屈服させるという出来事がありました。それは、時の日本の指導者たちに大きな衝撃を与えました。彼らは、近代的な科学技術の力に圧倒されるとともに、西洋諸国に対する警戒心を強くします。そうした危機感の中で、指導的立場のある人々が考えたのは、西洋の近代科学および技術、制度のわが国への導入と、精神面で西洋文化に対抗し得る独自の精神性の確立という二本柱で、その端的な表現こそ「和魂洋才」というモットーであったのです。このうち、「和魂」として取り上げられたのが、水戸藩を中心に行われた国学、水戸学の中から生まれた、天皇を中心とした儒教的、排他的国家思想と言われます。いわゆる「国体」と呼ばれる国家観の基礎をなすものです。

 ところで、もともと西洋の科学技術や制度は、西洋思想と切り離すことはできないものです。「洋才」の導入にあたっては、必ず西洋的価値観も付随して来ざるを得ません。そしてそれもまた、明治以降の日本の近代化にきわめて大きな影響を与えてきたことは否定できません。西洋的価値観の根本にあるのは、「個」の尊厳、尊重であるといえます。

 明治以降のわが国の歴史を眺めると、「国体」に象徴される国家主義的価値観と、西洋思想に触発された「個人尊重」の価値観とのせめぎ合いの歴史であることが分かります。前者は国家が最高の価値であり、すべての個人はその存立のために奉仕することを要請します。後者は、民主主義の基本をなす価値観で、国家は自立した個人の合意によって成り立つものであり、「個の尊厳」を要請します。この二つの価値観が、現代史の中でせめぎ合って来ていると言えましょう。その中で、極端な国家主義も、悪しき「個人主義」も決して日本の社会を健全に育てはしませんでした。わたしたちは健全な国として日本を築いて行かなければならないと思います。

 ひるがえって、去年は戦後70年の節目の年でした。この年に、国会において戦後の歴史を大きく変換させると思われるいわゆる「安保法制」が可決されました。重い出来事でした。

その過程を振り返ると、まず成立ありきで、「個の尊厳」に基づく民主主義の手続きは行われませんでした。その進め方を危惧する大多数の国民、憲法学者の反対の声も聞かれませんでした。現政権による、急激な国家主義化が浮き彫りとなりました。これは、かつての失敗から何も学ばず、ノスタルジックに戦前回帰を進める流れです。

 迎えた2016年、政権はどちらに進もうとしているのでしょうか。しかしそれは、わたしたち国民一人一人に問われる問いでもあろうと思います。だれかがどこかでこの国の歩みを決定しているというのでなく、自分たち自身がその進路に関心を寄せて行かなければならないのです。そうでなければ、今後の日本の歩みについて、かつてのように、成り行きに任せた責任をやがて国民自身が問われることとなりましょう。

 「個の尊厳」と「個人主義」とを混同する人がいます。それは、自分一人の幸福で満足することではなく、一人の重さを痛感するからこそ、他の人々、ひいては社会に対して責任をになうものだと思います。誤解に基づいて自分一人のからに閉じこもったり、逆に個人の尊厳をないがしろにして、安易に国のために命を捨てることを要求したりするようなことがあってはならないのです。

 迎えた年は、待ったなしでわが国の進路についてのわたしたちの責任が問われることでしょう。かつての失敗を繰り返すのでなく、本当に健全に、堅実に歩む国、周囲の国々との信頼を築くことができるような国として成長できるよう願って行きたいと思います。どうか、歴史の審判に耐えうる、重厚な国となることができますようにと祈りつつ。