「神」不在の文化




 

















                神」不在の文化

 先日、文部科学省は、先の戦後70周年にあたって発表された総理大臣談話を受けて、ということで、近隣諸国への謝罪を続けない教育を起こす意向明らかにしました。これは、わが国の過去に対して現政権が罪責の認識をもっていないことを示しています。本当に罪責の認識があるのであれば、このような対応はあり得ないでしょう。

 どこの国にも失敗はあり、ぬぐえない過去があります。いわゆる西洋先進諸国においてもしかりでしょう。軍事力による征服、侵略による植民地支配を始め、さまざまな不祥事も多々あったことでしょう。それら自身、正当化されるものではありません。しかし、その文化の根底には「聖なる神」が意識され、最後はそこに帰るというところがあります。罪責感

を支える絶対的基盤ともいうべきものがあるのです。しかし、わが国の文化の根底には、ケガレ、過ちを水に流すカミはあっても、罪を罪として問う、聖なる神(God)は不在なのです。どのような事情があったにせよ、過ちは過ちとして認識し、対応することを除いて、他者との真実な信頼関係を回復することできません。その意味で、教育の一端を担うわが国の当局が打ち出したこのたびの方針は、わが国の将来に禍根を残すものとなりましょう。