ささえられて生きる





















                ささえられて生きる


自分としては精いっぱいやっている、と思っていても、万事がうまくいく時ばかりとは限りません。思うにまかせない事情があるものです。そんな時、わたしたちはへこみます。へこみますが、祈ることをやめることはしません。祈りつつ歩きつづけます。

 案外、こんなとき、神様はわたしたちの本心がどこにあるのか、どんな態度をとるのかを見ておられるのかもしれません。順調な時、手ごたえのある時なら、誰しもしおれはしないでしょう。でも、そうでないとき、もしわたしたちが神さまの前に謙虚にひざまずき、祈り、信じ、一歩ずつ前進するなら、その姿勢そのものによって、わたしたちは支えられることでしょう。そして、やがて行く手の展望が再び開けて来るのを見るでしょう。