風化と思想化

 東日本大震災四年を迎え、記憶の風化を案ずる声があちこちで起こっていました。記憶は日に日に薄れるものであれば月日と共にそれが風化することはさけられないものでしょう。もちろんそれを最小限にする営みが大切であることは言うを待ちませんが。

 しかし、わたしたちが大切にしなければならないのは、起こった事柄そのものを語り継ぐだけでなく、それを「言葉化」すること、さらに「思想化」することではないでしょうか。

 何が起こったのか、その意味は何であったのか、課題は何であったのか、何であり続けるのか考え抜き、つきつめて思想にまで結晶させるなら、記憶は薄れても事の本質と課題は継承されるでしょう。

 しかし、それはわたしたち日本人がいちばん苦手とする作業です。それは、先の大戦についてもそれができてはいなかったという現実を見つめる時残念ですが認めざるを得ない事実です。けれども、それはできないことではありません。わたしたちひとりひとりが逃げずに向かい合い、誠実に取り組むならきっと出来るに違いありません。

コメントをお書きください

コメント: 1
  • #1

    F (月曜日, 30 3月 2015 14:52)

     いつもブログを拝読させてもらっています。私は、信仰を持たない者ですが、長年、文学に親しんできたものです。湯澤牧師とは、会ったことはないですが、R大学聖書研究会で、ある人の世話になり、湯澤牧師が苦労して教会を運営していることを聞きました。それから、もう10年以上の歳月が、経ってしまいました。
     湯澤牧師夫妻の生活ことを、ご家族のことを、静かに祈っています。