イエスにお会いする

 過日、ある方とお話しするうち、そのかたが不思議なみちびきで聖書とであったことを聞かせてくださいました。お聞きしながら、なんとも言えない感動に打たれました。聖書との出合い、イエスとの出合いは人生最高の出来事ですね。

 キリスト者は、通った道はちがっても、やはり生ける救い主イエス・キリストとの出会いを経験し、それを人生の糧として生かされています。礼拝は、その確認の場と言えましょう。

 ヨハネ福音書には、イエスの公生涯の終り近く、イエスに会いに来たギリシャ人たちのことがしるされています。敬虔な異邦人ユダヤ教徒であったと思われる彼らが、イエスこそ神のメシアであろうとの期待を抱きつつ、やってきました。彼らは、弟子に取り次ぎを願い出て言いました。「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」(ヨハネ12:21)。

 イエスにお目にかかる!  キリスト者はなぜ、毎週毎週礼拝に臨むのか、それはこの一事、今も生きたもう救い主イエスにおめにかかるため、それ以外ではありません。

 親しい友と会った、美しい讃美歌に声を合わせた、牧師の聖書メッセージを聴いた、「奉仕」と呼ばれる活動にいそしんだ、だとしても、もし復活の主イエスにお会いしないまま家路に就くのなら、いちばん大切なものを忘れたということです。