ルイ・ドゥ・ブロイを読む

 20世紀初頭、物質の最小単位と考えられる量子のふるまいを解く「波動力学」を打ち立てノーベル賞を受けたフランスの天才物理学者、ルイ・ドゥ・ブロイは、論文集「物質と光」(岩波文庫)に収録されたバストゥール高等中学校卒業式での記念講演の結びにこう言っています。

「私は諸君が、知的美的もしくは倫理的世界におけるすべて高いものに対する尊敬の念を、この学校での勉学の貴重な結果として集成保存されるように希望する。この尊敬の念がなければ、文明は、たとい物質的な細部においていかに完成を示そうとも、やがて野蛮の複雑な形式にすぎないものに終わるのである」と。

 当時、物理学者たちは、物質の最小単位と考えられる素粒子のふるまいが、ニュートン力学では説明がつかず、混乱していました。それまで物理学が絶対的に前提してきた、物質運動の均質性、確定性が、素粒子の運動に関しては通用しない事が分かり、完全に行き詰まってしまっていたのです。「光」の粒子性と波動性の統一的理解の問題に取り組み波動力学をもたらしたドゥ・ブロイは、その研究を通して、ニュートン力学と量子力学の統一的理解の道を開きました。複雑な迷路に迷い込んでいた物理学は、予想もしなかった美しい、単純な方程式への展望をもつことができたのです。その感動を、ブロイは繰り返し語っています。前掲の講演の結びはそれを踏まえています。確かな、健全な世界観なくして、物理学も、いかなる文明活動も、迷路に迷い込むであろうというのです。彼の研究生涯の結論でもあるのです。科学と哲学(あるいは神学)は切り離すことができないということでしょう。

 わが国の文科省は最近、国立大学に対して、文系学部を除去し、理系学部のみとしてゆく方向を示唆する見解を通知しました。強制ではないといっていますが、意図は明らかです。

難しいことを言わないで、国や企業の即戦力となる人材を育成したいということでしょう。

かつて、初代文部大臣、森有礼は、東京大学を東京帝国大学と改称し、大学の目的は国家の必要に役立つ勉学の場であるとしました(「日本教育小史」山住正己・岩波新書)。ことほどさように、明治から太平洋戦争にいたるわが国の教育行政は、国家に奉仕する教育へと流れ流れています。ちなみに、歴史教育の統制、道徳教育の国家管理、教員の監視は必ず通る流れです。このような流れがどういう結果をもたらすかは、実験済みです。

 21世紀に入った今日において、この国が同じことを繰り返そうとしていることを考えると心痛みます。見識が疑われましょう。物笑いです。

 ドゥ・ブロイから思わぬところまで話が進んでしまいました。