踏まれた足の痛み

 戦時体制下、国は治安維持法によって国民の統制を図りました。わたしたちの同信の先輩たちは、その信仰のゆえに、人々から白眼視され、敵国のスパイとそしられたと聞きます。また、多くの教会が解散を命ぜられました。役員や、牧師たちは取り調べを受け、獄に入れられた人たちも少なくありませんでした。神社参拝が強要され、様々な機会に宮城遙拝(皇居を拝むこと)が強いられました。

 日本が進出した国々においては、社(やしろ)が建てられ、その地の人々も参拝を強要されました。拒否する人々は処罰されました。皇民(天皇の臣民)になることが求められたのです。教会に集められたキリスト教徒が、入口をふさがれた上で火を放たれ、焼き殺される事件もありました。

 国内では、この他にも、その政治信条、奉ずる宗教のゆえに弾圧を受け、獄に投ぜられる人々がありました。

 このような思想統制の支柱が神社であり、その頂点に靖国神社がありました。

 国のために準じた人々に参拝するのは当然ではないか、という方々がいます。その賛否はともかくとして、この神社が歴史においてどのように機能したかということはみんなが知らなければならないのではないでしょうか。

 個人の信念はともかく、歴史を謙虚に振り返れば、他国の懸念はもとより、心身ともに踏みにじられた、少なからぬ国内同胞の痛みに配慮するのが自然ではないでしょうか。国内外を問わず、踏まれた足の痛みは決して忘れられてはいないのです。

 今は亡き教育学者、山住正巳氏はその著「日本教育小史」(岩波新書)の冒頭に、元西ドイツ大統領、ヴァイツゼッカーの演説を引用しています。「問題は過去を克服することではありません。さようなことはできるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」(岩波ブックレット№55より) そして氏は、敗戦時、日本人が自らあの戦争の総括ができなかったことを指摘しています。

 靖国参拝への思いが純粋であればあるだけ、なぜ世界が今の日本の指導者に懸念を抱くかが見えなくなってゆくでしょう。その先は、完全な孤立です。今、心ある政治家、心ある指導者はいないのでしょうか。心ある国民が、どれだけいるのでしょうか。