先達に学ぶ

 NHKの大河ドラマ「八重の桜」で、同志社の設立に取り組んだ新島襄の歩みと苦労をつぶさに教えられました。伝統の町、京都に、キリスト教に根差す教育の場を立ち上げることは、想像を絶する苦闘があったことでしょう。

 それから、偶々いま、福澤諭吉の「福翁自伝」を読んでいますが、東の私学、慶応義淳を主宰した福澤の、幕末から維新にいたる年月の歩みを追っています。長崎、大阪、江戸として何度かの洋行によって、洋楽の不可欠性に目覚め、むさぼるように学び、伝えていきます。また、その語学、学識を買われて、幕府や政府の仕事にも引き出されています。しかし、保守的な空気が満ちた維新前後の日本にあっては、洋学をもって国を立てようと志す福澤は、暗殺の危険を危惧しつつ若い人々の教育にあたっていたとのことです。

 かつてこれらの先達たちは、旧弊の逆風を恐れず、信じる所に従って生きています。いつの時代も、世の中の流れ、空気というものがありますが、どんな時も、信ずるところに従って生きてゆく勇気、気概を、これら多くの先達から学びたくあります。真理は、時を得て必ず花開くことです。