歴史に学ぶということ

歴史に学ぶということは、自明のことではないように思います。それは、絶えず、そして謙虚に過去の検証に向かい合うことなくして起こらないのではないでしょうか。

 かつてわが国は、「愛国心」を培い、戦時体制を強化するために実施された「歴史教育」を経験しました。それは、一定の方向と目的のもとに編纂された歴史を若い世代に教えようとするものでした。しかし、太平洋戦争において敗戦するという現実の前に、その破たんが証明されることとなりました。歴史教科書は、墨で塗りつぶされねばなりませんでした。

 先日、文科省は、歴史教科書の執筆者を招集しました。席上下村文科大臣は、国民が日本の国に誇りを持つことができるような歴史教育を指向すべきことを語るとともに、歴史家の間で評価の定まっていない事柄については、政府見解を踏襲するよう要求を語りました。これは、歴史は政府が決定するということではないでしょうか。だとすると、かつて行われた「歴史教育」の基本方針と同じです。その場の参加者から目立った反対はなかったと報道されていました。

 歴史に学ぶということが、謙虚に過去に向かい合うこと、良かったことにも、悪かったことにも誠実に目を配るということだとすれば、いちばんしてはいけないことは、汚点から目を背けるということでしょう。ましてや、歴史を美化するようなことがあってはならないでしょう。

 成功も失敗も誠実に見つめる姿勢の中からこそ、それを次の世代とともに学ぶ勇気の中からこそ真の誇りは生まれるものでありましょう。歴史教育をめぐる今日の状況に注目しています。