地球環境への責任

      セセリチョウ
      セセリチョウ

 東日本大震災に伴って発生した、福島原発の事故は、今なお深刻な危機の中にあります。今なお避難を余儀なくされている多くの方々のことを思います。また、事故現場で、がれきや汚染水の処理、今後数十年にわたると言われる終息に向けての作業にあたっている人たちのことを思います。このたびの事故による人的、財的損失は計り知れません。原発の持つ、計り知れないリスクを思わない人はないでしょう。

 過日、フィリピンではまれにみる凶暴な台風に見舞われ、強風、高波によって、無数の家屋が破壊され、数千にのぼる犠牲者が出ました。折しも、地球温暖化対策の国際会議が開催されていて、フィリピン代表が涙ながらに対策の促進を訴えている映像が報道されました。

 原発にせよ、温暖化にせよ、事態はきわめて深刻なリスクにさらされています。渦中の人々は、当事者のすみやかな果断によって、抜本的対応がなされることを望み、訴えています。しかし、こんな当然ともいえる願いは、なかなか実現そうにありません。その背景にあるのは、経済の論理です。

 原発も、温暖化ガスの問題も、産業の発展と切り離せません。企業も国家も、自分達の経済的発展を優先せざるを得ないのです。しかし、このような安易な経済の論理に固執する限り、人類に対する破滅的な脅威である原発、温暖化に取り組むことはできません。その間にも、地上のすべての人の上に、破壊的な現象が襲いかかってくることになります。

 できないのではない、出来るのです。責任のなすり合いをしている時ではないでしょう。どの国の政治家も、事業者も、一般国民も、誠実にこれらのリスクに向かい合い、その回避のために決断し、英知を傾けるべきでしょう。そうすれば、必ず道はあるはずです。