政治家の価値観

 いわゆる55年体制が過去のものとなり、日本の政治環境は大きな変動期を迎えています。それは、色々なところに現れていると思いますが、筆者は二つの現象に注目させられています。ひとつは、国政選挙に際してその時の有権者の動向に敏感に反応して、追い風を受けている政党から立候補する人たちが相当数あるということ。これらの人たちの強みは世論の追い風ですが、風向きが変わると多く舞台を去らざるを得ません。追い風のなくなった政党を離れて、次の追い風を求める人たちもあるようです。もう一つは、「綱領」を掲げる既成政党ではなく、有権者に人気のある「個人」のもとに集まるというケースが目立つようになっていることです。

 こうした現象の背後には、情報の多様化、有権者の価値観の多様化ということがあるでしょう。若い世代を中心に、既成のものにこだわらない考え方をする人たちが増加していると考えられます。そうすると、このような政治風土の流動化はまだまだ続き、さらにより大きな流れとなってゆくこともあり得るでしょう。

 上に述べた現象は、実は、普遍的な「綱領」や長期ビジョンなどにこだわることなしに、当面するさまざまな課題に取り組もうとするという点で、軌を一にしています。こうした傾向は、社会の大きな変化の中で、これからも続いてゆくでしょうし、もしかしたら、そうした中から、良し悪しは別としても、新しい政治の流れが生まれるかもしれません。

 しかし、筆者は、そうした様々な事情を踏まえても、このような現状を危惧せざるを得ません。それは、国のどんな意思決定も、中長期的な国の進むべき方向とのかかわりなしにすることできませんし、その「方向」こそ、政治家や政党のもつ、価値観、ビジョン、綱領であるからです。「追い風」に乗ろうとする安易な気風、個人人気にあやかろうする発想では、政治家として歴史に対する責任を果たすことはできないからです。うっかりすると、国民の熱狂をあおって、道を誤らせかねません。

 世界も日本も、いろいろな意味で激動の時代を迎えていますが、このような時こそ、日本の将来への確かな見通しと、歴史への責任感をもち、なおまた、当面する諸課題にも毅然と立ち向かう、すぐれたステーツマン、政治家(政治屋でなく)が起こされることを期待してやみません。