神と世界

        昨秋大池公園で見たシジミチョウ
        昨秋大池公園で見たシジミチョウ

 北朝鮮で核実験が行われました。予測されていたこととはいえ、世界は困惑といら立ちに包まれました。

 旧約聖書はそれを読む者に、繰り返し、歴史を造り、導く神への信頼を問いかけます。とくにそれは、イザヤ書をはじめとする預言書において顕著だといえます。彼らは、世の国々がどんなにその繁栄と力を誇ろうとも、歴史を導く義なる神への畏れをないがしろにするならば、その栄光は早晩失われてゆくと言明します。

 わたしたちは、世界の歴史を振り返るとき、まことに厳かな、諸国の栄枯盛衰を目にします。そこに、神のたしかな働きを見る思いがします。いかに繁栄し、大言壮語する国も、必ずや舞台から降りる時を迎えるのです。

 今日、人の道を軽んじ、自分の権勢を飽くことなく追い求め、民を抑圧して恥じない支配者や政権が世界のあちこちに見られます。その暴虐非道は目に余るものがあります。世界はこれらの国々を憂え、真剣な対応をしてゆかなければならないでしょう。わが国も、そのような実情を前にして、現実的かつ賢明な対応を検討しなければならない時を迎えていると言えましょう。

 しかし同時に、歴史を導かれる義なる神の目線で、時代を見てゆく必要があると思います。いたずらに恐れすぎてもいけないと考えます。