稔るほどにこうべを垂れる・・・

      手づくりクッキー
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「みのるほどにこうべを垂れる稲穂かな」との俳句があります。若い頃からこの句を知っていましたが、その意味は「人間は、実った稲の穂が、その重さでより低く垂れさがるように、成長すればするほど、人は謙遜になり、頭は低くなる」と常識的に考えていました。それは間違いではないでしょう。けれどもこのごろ、それにちょっと違ったニュアンスをこめて解するようになりました。

 よく、「あの人は若い頃は人に対して厳しすぎるくらい厳しい人だったが、年を取ってからずいぶんやさしくなった。」とか「あの人は若い頃やたら気が短かったが、年を取るにつれてずっと気が長くなった」というたぐいのことを耳にして来ました。

自分が若い頃は、そういうことを聞くと、そんなもんかな、程度にしか聞いていませんでした。けれども、自分が年を重ね、還暦を過ぎて来ると、色々な人生経験から、また、多くの人々との出会いの中から、自分の短所、欠点というものをつくづく思わざるを得なくなっている自分がいることに気付くのです。若い頃は自己過信がどこかにあって、いっぱしの人間だと思っている。しかし、年を取ると、自分が、余り意識しないままに引きずってきた欠点、未熟さ、そしてそこから生まれた数々の落ち度や失敗を、深い悔いとともに認めざるを得ない心境になるもののようです。そうなると、たくまずしてより素直になり、謙虚になるわけです。そうならざるを得ないのです。

 上掲の俳句は、そうすると、単に、稲をお手本にして謙遜でありなさいよと奨励しているというのではないのではないかと思わされます。心ある人であれば誰でも、そのような道をたどるものなのだよ、と言っているように思えるのです。そういう解釈の当否はともかく、昨今筆者自身、そのような心境に心底させられています。