「きずな」の幻想、または地域エゴ

    「港の見える丘公園」から望む
    「港の見える丘公園」から望む

東日本大震災で被災された無数の方々が、それぞれの場でいまなお痛みと苦悩の中で、懸命に生きておられることを思います。挫折と悲しみの中から、再び立ち上がられる日の来ることを心からお祈りする日々です。

 ところで、震災に際しては、マスコミによって「きずな」ということが繰り返し強調されたのは記憶に新しい所です。被災地の悲惨な現実が余りにも大きく、その報道だけでは重くなりすぎてしまうこともあり、明るい方向を願ってそうした話題を報道し、またある程度のキャンペーンを意識したことでもありましょう。一般も、おおむねそのような方向を受け入れ、マスコミ以外でもあちこちで「きずな」が語られたように思います。また、それに呼応するように、「がんばれニッポン」というようなスローガンをあちこちで見聞きすることが多かったように思います。

 たしかに、震災や原発事故の被災地では、非常時ならではの「きずな」の体験やその尊さが数多く見られたことでしょう。その限りでは、「きずな」の強調はそのとおりだと言えると思います。わたしたちも、そうした報道によって慰めや励ましをどれだけいただいたことでしょうか。しかし、復興が徐々に進むにつれて気になる現象が見えて来ました。というより、ある意味それは初めから色々な場面で見えていたことですが、たとえばそれは、放射能汚染や、がれきの処分のというきわめて現実的な、現地の人たちにとっては切実な問題を巡っての国民の反応です。一方では「きずな」のメッセージに感動したり、がんばれニッポンのステッカーを掲げながら、他方ではそれらの現実的な重い課題の克服のために連帯を模索するのではなく、がれきの受け入れに拒否反応を示したり、放射能汚染の被害を受けた方々を忌避するなどのなんとも保身的な姿勢が目立つのです。

 たしかに、二次汚染の危険については科学的かつ確実な安全を確保することはないがしろにはできないでしょう。しかし、様々な人たちの反応を見ていると、心情的にまず拒絶ありきという印象を受けます。なんとかして現地の復旧、復興を共に担おうとの志がいささかも感じられません。こうなると「きずな」の高揚もかえってしらじらしくさえ感じられます。これは、軍事基地の過重な負担に苦しむ沖縄の負担軽減の取り組みについても感じることです。少なからぬ人々が米軍の駐留による日本の安全の確保を是認しながら、具体的な負担分散の問題になると、自分たちの住む地域への受け入れは一切拒否するわけです。結果として沖縄にすべてを押しつけることになっています。

 このような現実の背後に見え隠れするのが、地域地域のエゴイズムといえましょう。わたしたち日本人は、一人一人を取り上げれば、世界の中でも善良な、まじめな国民であるといえましょう。しかし、いったん自分の町、自分の県、自分の国、自分の地域ということになると、次元が違ってしまったかのように地域本位の発想となってしまうように見えます。なんとか、このような状態を乗り越えて「きずな」の名に恥じない国となってゆきたく願うことです。