いじめのこと

我が家の住人たち~ララとマーガレット
我が家の住人たち~ララとマーガレット

 このところまた、いじめや、いじめに起因するとみられる子供の自死が報道されています。心が痛みます。昨今は、教育現場の対応にしびれをきらし(?)、警察に被害届を出すケースも多くなっているようで、事態はますます複雑化しています。

 いじめをどのようになくすか、各方面で論議が行われていますが、決め手はなかなかありません。それは、基本的に、いじめに関わる人たちの心のありようの問題だからだと思われます。外面的、客観的に「いじめ」を把握することはとても困難なことです。

 いじめは、子供の世界だけのことではありません。大人の世界でも同じ構図があると言ってよいと思います。むしろ、大人の世界の姿が、子供たちの間に投影されているのかも知れません。それで、子供にせよ、大人にせよ、その人が、人とどのように向かい合い、関わるのかということがカギになるのではないでしょうか。そこで大事なのは、「いじめ」があったかなかったか、と言う問いではなく、相手がどう感じ、どう受け止めているかを読み取ることができる感性があるかどうか、そして、相手が傷ついているならばその痛みに共感し、いたわる優しさがあるかどうかということではないでしょうか。相手を思いやる心があるならば、いじめはなくなるのです。しかしながら、この感性が著しく欠如しているのが昨今の世情です。

 知育も体育も大切です。しかし、家庭や学校の教育において、人格形成が過小評価されるならば、その結果生まれるのは最悪の世の中だと言わなければならないでしょう。